ギター寅さんの日記 |2014年3月17日 おかあさんへ。

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2014年3月17日 おかあさんへ。

おかげさまで、母の葬儀が無事に終了しました。このたびは、お忙しい中ご参列をたまわりました皆様、供花、弔電を賜りました皆様、まことにありがとうございました。この場をお借りいたしまして、謹んで御礼申し上げます。なお、営業再開は3月20日木曜日を予定しております。しばし、ご迷惑をおかけしますが、なにとぞよろしくお願いいたします。

さて、なくなってから葬儀までの間、いや、昨年母が倒れてからというもの、振り返るといったい自分が何をやっていたのか、さっぱりわからないです。ただ、おろおろ、あるいはうろうろしていただけで、何一つなしえなかったような、そんな感じがします。

で、うちに戻ってゆっくりすることができた今、ようやく落ち着いてものを考えられるようになりました。ふと、母への思いがあふれてきます。涙が出るとかそんなのではなく、母に対してゆっくり語りかけられるようなそういう心境になったんです。


おかあさん

のっけから、こんな書き出しはないのかもしれませんが、なまじ近くにいただけにわたくしはあなたのことをよく見ていたように思います。そこから出した結論です。

わたくしはそれほど女性経験があるほうではありませんが、あなたほどのたちの悪い女性を、これまでみたことがありません。あなたは、それこそお嬢様育ちで、わがままで、他人のことを省みず、そのくせシャイで寂しがりやで、自分勝手な正義感を振り回し、アチコチに迷惑をかけながらこれまで立ち回ってきました。

あなたは軋轢の多い人でもありました。もちろん、こんなことは許されることではありませんが、わたくしが幼少のころ、父があなたに降参してほかに女を作り出て行った理由も、自分が結婚をし所帯を持ったことで、なんとなく理解できた気もしました。

所詮夫婦とは他人です。だからこそ、我慢することや納得のいかないこともある。あなたと父がお互いに、もうすこしそれを理解できていれば、この葬儀に父も出ていたことでしょうし、あるいは、あなたが先に父の葬儀を出していたのかもしれません。

でも、わたくしはそれを、あなたのすべてだとは思いません。人にはよいところも悪いところもある、よいところは、なんなのか、いうまでもなく、今回の葬儀にこれだけの人が集まってくださったことを見ればわかります。

そして、あなたの、特に晩年の立ち振る舞いは、わたくしが若いときに、あなたと一緒に看取った祖母とそっくりでした。あなたを見ていると「遺伝とはすごいものだ」とつくづく感じたものです。

あなたのそんなところは、どうやらこの葬儀の喪主を務めた兄にではなく、わたくしにそのまま受け継がれているようです。ものの考え方、動き方、わたくしは自分でも、恐ろしくあなたと似ているなと思うときがあります。それは、祖母のそれが第一子である叔父にではなく、第二子であるあなたに受け継がれたのと同じく、あなたの第二子であるわたくしに、見事なまでに遺伝してしまったようです。

そんなふうに、遺伝の仕方まで遺伝するとは、わたくしたち親子の血のつながりは、どこまで濃いのかと思い知らます。そして、こんなにも「邪魔くさい」わたくしと一緒になり、あなたとの同居を、何のためらいもなく決断してくれた、細胞や遺伝子の専門家である家内からすれば、まさしくわたくしは、細胞レベルから、あなたのカーボンコピーのように見えていたのだとおもいます。

こんな遺伝のしかたもあるのかと、科学者らしい目線でわたくしたち親子を観察してくれていたのだと思います。

そんなあなたがこれまでやってこれたのも、最後までそばにいてくださった吉田会長をはじめ家族、ハワイアンのお仲間の皆様、そんな周りにいるたくさんの人たちすべてが、海のように広い心の持ち主だったからなのだろうと思います。

本当の意味で、これは社交辞令でもなんでもなく皆様の生前のご厚誼に対しまして、ここに謹んで御礼を申し上げたいと思います。

誤解を恐れずに言えば、あなたは、わたくしが知る女性の中で、最低の女性でした。

それゆえに、いや、それでもそれは許されることではありませんが、あなたには数々の暴言を吐いたこともあります。馬鹿なことをしてはあなたをずいぶん困らせたこともあります。たぶん、わたくしにも親子だからという甘えがあったんです。わたくしはついに最後まで、できの悪い息子のままでした。いまさら遅いのかもしれませんが、こころからお詫びを申し上げたいと思います。

本当にすみませんでした。

この期に及んで、そして、これほどまでにあなたをこき下ろしておきながら何なのですが、しかしそれゆえに、わたくしにはあなたがとてもいとおしく思えるのです。あれほどわがままで、自分勝手だったのに、実は最後の最後まで、あなたが私に頼りきっていたこと。いざとなれば、いくら強がりを言っていても、わたくしを頼ってくれているということが、わたくしにはどれほどうれしかったことか。

こんなバカな息子でも頼りにしてくれることが、逆にどれほどわたくしを励ましてくれたことか。

そして、それがどれほどありがたかったことか。

あなたの余命がいくばくもないと聞いたとき、年甲斐もなくわたくしは泣き出しそうになりました。でも、私は泣いている場合ではない、とことんあなたと一緒に戦おうと思いました。もちろん、わたくしはガンに降伏するつもりはありませんでしたし、完治すれば、またいろいろと憎まれ口を叩いてやろうと思っていました。

でも、日に日に弱るあなたを見ていると、わたくしの気持ちは萎えていきました。震える手で、重い体に鞭を打ちながら、体にいいからとアロエのジュースをわたくしの仕事場に持ってきたあなた。忙しいわたくしに遠慮をして、いろいろなことを我慢していたあなた。わたくしは本当にいたたまれませんでした。なのに、わたくしは何もしてあげられませんでした。そんな自分が腹立たしくも思いました。

そして、許されるのなら、わたくしはすぐにでも、この手であなたを楽にしてあげたいと何度も思いました。

同じように肝臓の病気になり、同じように苦しんで死んだはずの祖父の霊に、そして、母に自分の死に目を看取ってもらったはずの祖母の霊に、何で一思いに母を殺してくれないのか、こんなにも苦しんでいるのに、何で連れて行ってくれないのか、酔っ払って仏壇の前で呪詛をはいたこともありました。

そして、わたくしと兄の3人になったとき、苦しむあなたが「死なせてくれ」と叫んだこと、そして、死の床で最後に発した「家に帰りたい」という言葉をわたくしは一生忘れることはないだろうと思います。

最後は何もできなくてほんとうにすみませんでした。

そんなあなたがいなくなって、わたくしは痛感するのです。この世界に、あなたほどいとおしく、そしてかわいらしい人はいないということを。そして、あなたを失うことが、これほどまでに大きな穴を心に空けるとは、わたくしは夢想だにしませんでした。

月並みなお別れの言葉を言うのはいやだったので、最後にさんざん憎まれ口を叩いて、参列してくださった皆様に笑って帰ってもらおうと思っていましたが、どうやらわたくしにはその才能もなく、初七日の儀のあとに、兄に、中締めのチャンスを与えてくれたにもかかわらず、涙があふれてコメントどころではなくなり、そして、ようするにすべてが「すべった」ままであなたとお別れをすることになりました。本当に最後までできの悪い息子です。

そして、最後にあなたにかける言葉を考えると、どうしてもこの言葉に行き着いてしまいます。それはやはり、わたくしにとって、あなたがかけがえのない人だったからだと思います。

生んでくれてありがとう。

ちょっとやそっとでもへこたれないように、育ててくれてありがとう。

ずっとこのバカな息子のそばにいてくれてありがとう。

わたくしの母親になってくれてありがとう…。。

わたくしは、あなたをなくしてようやく気がつきました。あなたのカーボンコピーであることが、どれほどまでに誇らしいことであるのかを。ありがとうございました、さようなら。

絶対に、来世でもわたくしの母になってください。



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プロフィール

ギター寅さん

Author:ギター寅さん
※なお、このブログの文章や写真、ファイルなどに付きましては、管理人ギター寅さんこと古谷周治は権利を放棄しておりません。引用・転載ご希望の方は、www.gwnn.infoまでご一報ください。無断引用・転載を発見しました場合は法的措置を取らせていただく可能性がありますので、十分ご注意ください。



1994年 京都精華大学人文学部人文学科卒業 8年間の仏具製作卸売会社勤務の後・・・、

2002年 ESPギタークラフトアカデミー大阪校本科修了、

2003年 アメリカ・アリゾナ州Roberto-Venn School of Luthiery秋クラス修了、

2004年 サンフランシスコでエレキギター工房、CenterLineGuitarsの立ち上げに参加

帰国後は木工職人、楽器店の修理担当をへて、現在に至る。


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